のんびりおひとりお暇日記

しがないアラサー元事務員が趣味や日々感じたことを綴る日記

後悔

こんばんは。のんびり まりです。

また1ヶ月以上更新がとまってしまい、こんなブログでも楽しみにしていた方がいらしたら、ごめんなさい…


今回は『後悔』についてお話しします。

人間生きていればいいことも悪いことも経験していくと思います。

もし悪いことがあってもそれは更なる成長につながる糧だと思えれば、それは一様に『悪いこと』でもないのかもしれません。

要は自分の受け止め方次第で悪いことも良いことになるのだと思います。


しかしながら、上記のように人間常に前向きでいられないこともあります

何か一つ『悪いこと』が起きるとその負の流れに引きずられてしまうことがあるんですよね。

今まさに私はそのような状態にあります。


以前も書きましたが、退職する運びとなり、毎日てんやわんやで過ごしている今日この頃です。

そんな中でベースアップの話が舞い降りてきたり、抜本から組織体制を見直し、改革をしよう!というムーブメントも起き始め、「何で今やねん…もっと早よ言うてたら辞めんかったんに…」という後悔を抱いています。


また、そんな状況の中、私の唯一の理解者であると思っている父が病気になり、余命幾許もないということを最近知らされました。


私は家族と離れて生活して早十余年。

時折休みをとり、家族の元へ帰っていましたが、父の具合の悪さには気がつくことなく、いつものんびりと過ごさせてもらっていました。


私自身、とても口下手で帰ったらこんな話をしようとかあんな話をしようと思い描くものの、いざ家族の前だと話せなくなって、話せても「うん」としか答えられず。


口を開くとついつい母と口喧嘩してしまったり、憎まれ口をつい叩いてしまって険悪な雰囲気になってしまって。でもそんな時も「まぁまぁ、落ち着いて。いいじゃないか、その辺で。俺が悪かったんだよ。」と仲裁に入ってくれたり。


仕事がうまくいかなくて嫌になった時も「まぁ、無理すんな。ここだけがお前の人生じゃないんだからさ。でも、まだ頑張れるっていうならお前が納得するまでやりな。」って励ましてくれました。


とにかくいついかなる時も温かく快く迎え入れてくれました。


いい年になっても大人になりきれず、金銭的にも精神的にも頼ってばかりで親孝行なんか全然出来ていない私ですが、怒ったり呆れたりすることもなく、話してくれて。私が黙っていても咎めず、許してくれて。話さなくてもそばにいるだけ、それだけで心が安らぐ。そんな存在。


そんな父がいつも言っていたのは、「お前の好きなように生きろ。今会えてる人たちもいつか急に会えなくなる時が来る。だから、今を大事にして後悔のないようにな。」って言葉。

何だかエヴァンゲリオン加持リョウジのようなセリフでいつもはいはい分かりました、って受け流していました。


この近年で親族が何人か亡くなってお葬式に参列したりする機会もあり、その言葉の意味を考えさせられることはあったはずなのに、何故か自分の中ではしっくりきていなかった部分がありました。


でも、こうやって実の父が、というシチュエーションを目の当たりにして初めてその言葉の意味を噛み締めることができました。

もう少し賢かったらその言葉の意味を早く理解して、行動に移せていたんでしょう。

でも私は気がつくことができませんでした。改めて自身の愚かさを思い知り、過去の自身に対する『後悔』の念が深く深くのしかかり、底知れぬ悲しみを経験しています。


父こそ辛い状況のはずなのに、父が私に病気を告知した時、泣き言一つ漏らさず毅然としていて、病気と闘うと気丈に振る舞っていました。また、母からは職場の人にも伝える時、周りを悲しませないように冗談を言って笑わせながら話したりしたという話を聞きました。

父は凄く凄く辛いはずなのに優しくて前向きで。それなのに私は泣いてばかりで何をしているのだろうとふと我にかえっているところです。


長々と乱文を書き綴りましたが、『後悔先に立たず』ということ。その言葉の通りの状況にいます。

ですが、希望は捨てずに今こそ父が語っていたあの言葉を実行する時なのだと感じています。


後悔だらけの人生を歩んできている私ですが、皆さんも是非この一瞬一瞬を大切に、そして後悔のない生き方をして下さい。私もこれからの日々は父の言葉を忘れずに努めて生活していきたいと思います。


ここまでこんな長文の乱文を読んで下さり、ありがとうございました。